超安定指向の Linux ディストリビューション。 でも所謂人柱版。
Windows 定番の message user agent。 約半月ぶりの version up。
Windows 上で動く高機能なタブ型 web browser。 約 1 ヶ月ぶりの version up。
多言語対応の多機能 terminal emulator for MacOS X。
Ogg Vorbis 系ツールやライブラリの高速化を狙ったもの。
Mac OS X 上で動く MS 系 リモート・デスクトップ・サービスのクライアント。
コミュニケーション能力と取り入る能力が同一だと思っている人を見ると、 「あー、この人の周辺にはそういうので騙される人が多いんだー」と思ってしまう。 後者は、前者の補助的な能力であって、前者とは別の能力。 過度に後者ばかりを発揮すると、“ちゃんと本質を見よう”とする人には あっさり底の浅さを見抜かれて逆効果になってしまう。
しかしその一方で、 後者がないと前者を活かし難いのも (今の日本では?) 事実だと思う。 価値のない揚げ足取りに違和を感じない人間や 敵に対して完全勝利を強く求める人間を相手にする時、 悲しい位に効果的な場面をよく見かける。 …ちなみに、取り入ることの効果が大きい人間ほど信用しない方が良い、 もっと言うと関わらない方が良いと僕は考えているが、 取り入る才能のある人には最高のカモなので積極的に関わる必要があるのだろうな。 とても解り易い構図だ。
以上、やっと気分的に少し落ち着きを取り戻し始め、 昔の様なノリで何となく考えたことを書いてみました。 …まあ、こんなこと書いておきながら、 僕はコミュニケーション能力と取り入る能力のどちらも持っていないわけで、 「正直、説得力ないなぁ」と自分でも思っているわけですが。
以下は追記@10/7。
取り入る能力に関して面白い傾向がある。 取り入る能力ばかり高い人間を集めて議論させると、 多くの場合は公知の概念の寄せ集めで無難な方向に話が流れ、 出てくるものはどうしても内容が薄くなってしまい、かつ新規性にも欠けるのだ。 まあ、空気を読んでばかりで苦労なく案を構築することを求め、 参加者が容易に理解できる意見が良い意見だと思ってしまう (この手のタイプの人間には理解できないものには触れたくない傾向が…?) のだから、これは当然の結果だろう。 …もちろん、この傾向を単純に悪いものだと言いたいわけではないが、 いつもこれでは議論する意味がなくなってしまうのはやはり問題だろう。
改めて書くことになるが…、 本当の意味でコミュニケーション能力が優れている人間にとって、 取り入る能力は一つの小さな補助ツールに過ぎない。 その実力は、他人の思考を引き出し理解する力や物事の本質を見抜く力、 適切な方向性を見出す力、そして必要に応じてそれを表現する力に表れると思う。 これらの力は、意識して努力しなければ伸びないものばかりだ。 安易にコミュニケーション能力という言葉を口にする様な人間が、 実際にはコミュニケーション能力に優れていない (けど、取り入る能力には優れている) 場合が多いのも、 ある意味自然なことなのかもしれない。